ユーキ脱退説/説という現象

 



 

ここ数日話題に出ていることについて、


私なりに考えて思ったことがあるのでここに書いておく。

 




 

今回はたまたま

ユーキさんについてだっただけであって、


テーマは違えどこういう現象は今までにもあったから


そういう時にもずっと頭にあった話。

 

 

 

 

まずブログにした理由。


ツイートだとどうしても文字数制限があって、

1つのツイートにまとめきれなくて


因果関係を無視して一部分だけで判断されてしまうのは

誤解を招いてしまう可能性もあるから、


全文を読んで判断できるブログという形式にした。

 

 





思っていることを整理したいのもあって、

昨晩ツイキャスをしたんだけど


それによってまとまったり、そこから見えてきたこともあって

あらためて意見を言いたいのと、

 



その時に

「思っていたことを言葉にしてくれてスッキリした」と

言ってくれた人がいたこと、

 

キャスは聞かないけど、文章なら読もうっていう人や


検索から辿り着いた層へ向けても発信出来たらなと思ったから、

文面としても残そうと思った。

 

 

 



 

 

 

まず、なんでここまで大ごとになったのか事実確認をしたい。

 


 

今「ユーキ 脱退」で検索すると凄い数のツイートがヒットする。

 

内容を見ると

「脱退説ってなに!?」とか

「脱退するなんてあり得ない!」っていうものがほとんど。

 

 


その"説"の発端がどこなのかは、少し見ただけではわからない。

 

脱退を示唆したツイートも簡単には見つからない。

 

 

ましてやそういった、脱退説という単語を含んだツイートが

フォローしている人の発言によりTLに表示されたとしたら、

何も知らなかった人は気になる。

  


それによってまた

「脱退説なんて出てるの??」とツイートしてしまうとする。

 


そうするとまた

それを見たフォロワーが…と続いていく。

噂が噂を呼んでしまって

それによって"説"が広がっていく。

 

 



 

「よくわからないけど脱退説なんて出てるらしい。」

  


こうやって広がっていった。


実態が無いから "説"なんだよね。

 

 

 



 

 「脱退」という文字だけで、過剰に不安にならないでほしい。

 

たしかに2018年は超特急だけじゃなくて

アイドル界隈たくさんそういうことがあったから

そう思う気持ちもわかる。

 


その上こうして8号車という1つのコミュニティに属しているからこそ、


「自分だけ知らないのかもしれない」という

不安が上乗せされることで

衝動的なツイートをしてしまうのかもしれない。

 

 

 

でも、その不安をツイートする前に

ちょっとだけ手を止めて考えてほしい。

 

 

 

それを見た何も知らない人がまた不安になる。

そうやってマイナスの連鎖を生み出していること。

 

たとえ"説"として出ていたとしても、

自分はどう思うのか。


これまでのユーキさんの言動から

それが信憑性のあるものなのかということを。

 

 


 

それを考えた上で、出どころのわからない説を

否定したくなる気持ちもあるとは思う。


馬鹿馬鹿しいと笑いたくなるかもしれない。


もしかしたらそうやって、

僅かな不安を拭うために

誰よりも自分に言い聞かせているのかもしれない。

 

でもその反論のつもりでしたツイートが、

逆に脱退説を広めてしまうネガキャンなんだという

意識も持っていてほしい。

 


 

その否定によって

何も知らなかった人がまた噂に翻弄される。

 

 


 

時にはスルースキルも必要。


触れないことで鎮火できる。

 

 

 

 



 

 

じゃあなんで今更ブログ書いたの?って

思うかもしれない。


 

しばらくは様子を見てたけど、

遂に理事長が触れてしまったことで、

もうさすがに見過せなくなった。


知れ渡ってしまったように思う。

 


質問返しをするとしても自分の立場をちゃんと考えて、


拾う内容とそれについての言葉を、もっと選んで欲しかった。

 


それを目にする人の数と、それによる影響を。

 

 



知らない人はごく僅かなんじゃないかっていう

レベルの話になってしまったから、


さすがにこれはもう言及しても


ここから更に不安を煽ることもないんじゃないかなと思った。

 

 

 

 

 

なぜ不安になるのかって。分からないものって怖い。

 

 

心霊現象に怯えるのも、オカルトに不安になるのも

そういう理由だと思う。

 


解明されてないからこそ怖い。

 



脱退っていうワードだけ見たら

幽霊みたいな分からない怖さがあるけど、

明かりをつけてよく見てほしい。

 


それは案外ただの白い布だったり、木の枝だったりするから。

 



正体が分かればなんてことはない。

 

 

 





 

わからない怖さによる不安は、事実確認をしたらいい。

 

 

 

 

そもそも、この脱退説は結局どこから始まったのか

分からないままの人もいるかもしれない。


私が確認出来たことをここで説明してしまうと、

10/05のブログの一文だった。

 

 



 

はじめての
 
そして大阪城ホール2日間
 
 
この3日間は
僕にとってはかなり
色んな意味で
節目になるライブだと思ってます
 
 
 
平成最後のこの瞬間
この時代を
共に超特急として刻めたら
俺はhappyです♪
 

https://lineblog.me/bltr_blog/archives/13201494.html

 

 

 

 

このブログを読んでどう思ったのか?

 

それだけ。

 

今回の件はただそれだけの話。

 

 

 

 

 

 

 

それなのに実態を持たない"説"について

反論するツイートばかり出てくる。

 

そもそもするとしても反論はそこじゃない。


「脱退説なんてあり得ない!」じゃなくて

「そのブログの意図ってこうだと思った」

それならまだ分かる。

 

 

このブログを読んで、引っかかった人が

どう捉えたかはその人の価値観。

 

「私はこう思った。」それだけ。

 

 

 

そもそも「この含みは脱退だ」って

言い切っている人って

私が遡った限りではいなくて。

 

そのブログが上がった日周辺で

反響を呼んだツイートは私が見る限り無かった。

 

 

検索ではヒットしないツイートだとしたら

今となってはもう見つけられないけど、

この脱退説はジワジワと時間をかけて

広がっていったことを思うとそれも違う。

 

 

じゃあ何かっていうと

「僕にとって」「節目」「平成最後の」

っていうところが引っかかって、

漠然と不安になって、

いなくならないでね…やめないよね、っていう

ツイートがあったところから、

 

1つの仮説として脱退という言葉を

ニュアンスで使っているツイートとか、

そういうのを一括りにした粗野な言葉として

「脱退説があるみたいだけど」

っていうところから始まって、

ゆっくり時間をかけて広がっていったと

今あらためて検索して分かったことはその程度。

 

 

厳密にこのツイートが始まりだ!って

断言出来るものは見つからなかった。

 

 

これは私の主観で余談だけど

そもそも「いなくなる=脱退」

っていうわけじゃない。

 

 

発端となったツイートはなくても

その言葉のインパクトによって

上にも書いた一連の流れで、

最初は説と呼べるほどの発言じゃ無かったことが、

ここまでの噂になったように見える。

 

 

伝えたいニュアンスが言葉の選び方で

意図しない捉え方をされて

噂が噂を呼んでしまった結果

なんじゃないかなと思ってる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブログを読んで感じた一意見として

脱退説があった、

 

というよりも

 

反論するたくさんのツイートが生み出してしまった

脱退説だったな

 

と思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

価値観は人それぞれで、

発言の自由があるTwitterだけど、

だからこそ

その文字が与える影響を少しだけ考えてほしい。

 

ひとりごとや

友達に話し掛ける感覚でした気軽なツイートも、

「影響」を与え、その数が増えていくと

「反響」になってしまうんだっていうことを。

 

 

 

そして受け手であった場合、

言葉だけに惑わされてむやみに不安になる必要はないから

「聞く」よりも「調べる」という行動を取ってほしい。

 

そして個人の意見に影響されすぎず

自分が信じるものを思い出してほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

難しい。

 

 

Twitterは本当に難しいコンテンツだと実感した。

 

 

 

 「気軽さ」が長所だからこそ

短所にもなってしまう。

 

それを頭に置きつつ

手軽なコミュニケーションツールとして

これからも楽しんでいきたい。

 

 

 

これを読んで、少しだけでも意識が変わったり

自分の中で考えることがあったなら私はとても嬉しい。

  

 

 

 

 

最後まで読んでくれてありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

分岐点

 

まさか自分がはてなブログを書く日が来るなんて思わなかった。


この変えられない状況で前を向くしかないと頭では分かっていても、なぜか突然気持ちが16日に逆戻りして分からない辛い苦しい嫌だになった時に

前を向いて歩き出している今、こんな気持ちのやり場が無くてどこに癒しを求めていいかわからない時に、自分以外のいろんな8号車がコーイチ脱退をどう受け止めたのか書かれたブログを見て少し救われた。


そういう同じ気持ちの人がいるのかもと思ったのと、
単純に今の自分の気持ちを言葉として残しておきたかった。

 

 

 

 

 

 

大前提として私は「7人の超特急」が好きだ。

こんな書き方をする日が来るとは思わなかった。
超特急は7人なのが当たり前だったから。

 

でもこれからはそうではないらしい。
「コーイチ」と「6人の超特急」しか無いらしい。


一本だった道が別々の方へと進んでいく。

彼らも、私達も。

 

奇跡のようなバランスの「7人の超特急」をずっと好きでいた自分にはまだどちらも選べない。
選ばないことも出来るけれど、それではどうやら時間に置き去りにされ前に進めないようだ。

現場至上主義だからこそ殊更に思う。

 

でもまだ私は「コーイチ」も「6人の超特急」も見ていない。
選び方もわからないまま無情にもアリーナツアーの先行は締め切られたけれど。
まるで「7人の超特急」から延長線上にあるように掲げられるけれどそれは全くの別物だ。

 

 

 


私が何年も好きで日本中を飛び回り

生きる糧であったグループはもういないのだ。

 

 

 

 

 


喪失感。
それがこの数日の最たる感情なのだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 


脱退発表からしばらくは分からないことが多過ぎていろんな憶測を立てては縋ろうとしたり、コーイチの安否を心配したり、メンバーに感情移入してしまい辛く悔しくなったり、やり方がおかしいと腹を立てたり、冷静に6人の活動を懸念したり、新着情報にコーイチがいたりいなかったりしていまいち現実味が無かったり、推しのことを考えたら幸せになってほしいし応援するしかないと思ったり、客観視して笑っちゃうくらい情緒が乱れて頭も混乱していた。

 

やっと冷静になって(と思っている今)言えるのはシンプルにこれまでの超特急がこれから先見られなくなることが耐えられないのだと思う。

 

 

今後を考えるとしっかりと「6人組」になってもらわなければ困る。
ずっとコーイチの影を感じるようではここから上へは行けない。
でも6人の超特急を好きになっていいのだろうかという後ろめたさのような変な気持ちもある。


そういうことではないと分かっていながらも6人でもやっていける!と思ってしまったらコーイチの存在を無下にしているようにも思えてしまって、
これまで何度も言ってきた「この7人じゃなきゃ!」を言い続けたい。
でもこれから先その言葉を口にしたら未練になってしまう。

 

これからどういう気持ちで見ていけばいいのか分からない。

 

コーイチが歌いフォーメーションにも組み込まれた既存曲がいくつもあり、これからもその楽曲と共に活動していく超特急を新しい6人組として見ていけるのか。
繰り返し脳裏に焼き付けるように何度も見てきたからこそ、ここでコーイチが…と反射的に目で追ってしまう癖を直さなければならない。
新しいフォーメーションを見てどうしても過去と比べてしまうかもしれない。

 

 

既存曲を聴くのもすでに辛い。
あの目黒のライブの日から、しばらく聴けなくなっていた。
私は現場にはいなかったけれど、どうやらあの場所にコーイチはおらず吉野晃一がただそこにいたらしい。
知らないところで吉野晃一が始まっていた。
ということは、終わったのだろうか と二度と7人を見ることは無いと頭ではわかっていたけれど実感の無かったことがジワジワと現実味を帯びた。


「超特急で食ってきたい」「ここまで来たら絶対投げ出さないから」「正直もうやめられない」「ずっとこのまま信じていて僕が君のこと連れて行こう」…

イヤホンから流れてくる音楽が虚しい。
コーイチが歌っているパートだからこそ余計に歌詞に説得力を感じられなくなってしまった。

もちろん脱退を決めるその瞬間までこれらの歌詞を誠心誠意歌ってくれていたことは分かっている。
それは嘘じゃない。
結果的にこうなってしまっただけだ。

 

私は今までコーイチのいる超特急を何年も見続けてこられたし、行けるだけの現場に行ったし、当たり前じゃないと噛み締めながら毎公演大切にしてこられた。
コーイチのいるありがたみを何度も感じながらライブでは抱えきれないほどたくさんの感情を持ち帰って来られていたから、
「なんでもっと行かなかったんだろう」という後悔は全く無くて、そんな過ごし方をしてきた過去の自分を褒めたいくらいだ。
好きな超特急をたくさん見てこられて良かったなという気持ちは間違いない。

 

流れてくるあの時の歌声を今聴いている自分が今のコーイチと重ねてしまうからいけないのだ。
裏切られたと思えたらどれ程分かりやすかっただろうか。

 



それにこれからの超特急も変わらぬ目標に突き進んでいく。

 

それならばいっそRINGの時のように、ほとんど新曲が収録されたアルバムをリリースしてそれを引っさげたツアーにしてほしいとも思うけれど、メンバーそれぞれの負担 特にタカシのことを考えると素直に言えないところはある。

 

でもそんなことを言っていたらこれから先やっていけないのでは、とも冷静に思う。


そういった既存曲をやらなくなってしまうのも寂しいしグループとしての信念は変わらないのだからタカシの歌声で今の超特急として早く聴きたいという気持ちもある。

 

 




でもこれからの活動を決めるのは私ではない。
超特急だ。


それを見て受け入れ応援したいと変わらず現場に行き続けるのか。

どうしても受け入れられずに下車することになるのか。

はたまた好きな気持ちではあるけれど受け入れ切れずに現場には行かず在宅になるのか。

私に決められるのはそれくらい。

 

そして吉野晃一名義でソロ活動するとはまだ何も言われていないけれど、
超特急ではない姿でステージに立つコーイチを、
どう見守っていくのか。

 

 

 


 

結局は見てみないと分からない。

 

 





 

パーフェクトバレンタインまであと5日。

 

 

 

 

 

 






 

 

 

いろんな心配があると思います。


いろんな思いがあると思います。

 

でも僕はその思いをライブで全て
払拭したいと思います!

 

僕たち超特急が表現する場所はいつだって
8号車のいるステージの上だから

 

  https://lineblog.me/bltr_blog/archives/13170095.html

 

 

 



 

推しの言葉を信じている。

 

 




 

 

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